本文
栖原 角兵衛(すはら かくべえ)
栖原家の当主は、代々角兵衛と称しました。初代は房総の漁場を開拓し、さらに5代目は蝦夷(北海道)の漁場を開き、6代目は樺太と北海道・宗谷間の定期航路を開くなど、歴代が樺太、千島まで漁場をひらきました。
このように、北方の発展に貢献したほか、函館付近の上山村の開墾や、ロシア侵入に備えた防備にもつとめたということで、当時の栖原家の有力者ぶりがうかがわれます。
本文
栖原家の当主は、代々角兵衛と称しました。初代は房総の漁場を開拓し、さらに5代目は蝦夷(北海道)の漁場を開き、6代目は樺太と北海道・宗谷間の定期航路を開くなど、歴代が樺太、千島まで漁場をひらきました。
このように、北方の発展に貢献したほか、函館付近の上山村の開墾や、ロシア侵入に備えた防備にもつとめたということで、当時の栖原家の有力者ぶりがうかがわれます。