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明恵上人(みょうえしょうにん)

ページID:0003100 更新日:2022年1月11日更新 印刷ページ表示

施無畏寺

鎌倉前期の僧。16歳のとき出家して、京都、奈良で学びますが、名利だけを求める風潮を嫌って、23歳で湯浅に戻り、山中で一人修養と研鑽につとめました。
栖原白上の峯に入り、さらに東白上峯に草庵をたてて修養に励みましたが、そこでの修行はたいへん厳しいもので、一切の俗念を払拭しようとして右耳を削ぎ落としています。
後に後鳥羽院から土地を賜り、京都・高山寺を復興します。建礼門院はじめ位の高い人々から庶民に至るまで、多くの人が人柄と教えに帰依したいといい、その中には仏師として名高い運慶、快慶らもいました。
また上人は、和歌にも長じ、月の歌が多かったので「月の歌人」という優美な異名をとりました。