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湯浅道町出身の一窓は、幼いころに京都に移り住み、医術を学んで本業としました。そのかたわら、当時の人間観として清新な学問であった心学に傾倒して石田梅厳に学びました。梅厳亡き後は旧宅を預かり、また各地に講舎を創立して、心学の普及に努め、湯浅にも有信舎がありました。 その人柄と所説が、人々に敬慕されたということです。