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明恵上人(1173年~1232年)は、名を高弁という鎌倉前期の僧です。8歳のとき相次いで両親を亡くし、叔父の上覚を頼って京都・神護寺の文覚上人について修行しました。
名利だけを求める風潮を嫌って、23歳で湯浅に戻り、山中で一人修養と研鑽につとめました。
以後も、有田の各地で湯浅一族の庇護を受けながら修行に勤めます。
後に後鳥羽院から土地を賜り、京都・高山寺を復興します。
建礼門院はじめ位の高い人々から庶民に至るまで、多くの人が人柄と教えに帰依したいといい、その中には仏師として名高い運慶、快慶らもいました。
また上人は、和歌にも長じ、月の歌が多かったので「月の歌人」という優美な異名をとりました。