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栖原 角兵衛

ページID:0003101 更新日:2024年8月1日更新 印刷ページ表示

栖原角兵衛屋敷跡

栖原氏(元は北村と称する)は、元々摂津国にいて、室町時代に吉川に移り住み、その後栖原に来ました。

初代・茂俊は、最初は農業をしていましたが、その後漁業に乗り出し、房総半島に漁場を開拓しました。

茂俊以降、代々の当主は角兵衛と名乗り、2代目には江戸で薪炭問屋、ついで材木問屋を開き、5代目で蝦夷(北海道)の漁場に進出、6代目の時には樺太と宗谷の定期航路を開くなど、歴代が樺太・千島まで漁場を開きました。

このように、北方の発展に貢献したほか、函館付近の上山村の開墾や、ロシア侵入に備えた防備にもつとめたということで、当時の栖原家の有力者ぶりがうかがわれます。

角兵衛の栖原の本宅として使われた建物が残されています。