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栖原の生まれの菊池海荘(1799年~1881年)は、家業を継いで江戸で砂糖・薬種問屋を営むかたわら、詩に親しみ、故郷に古碧吟社を創設しました。
ここには、有名な詩人が訪れ、全国にも名高い詩の集団となっていました。
また、渡辺崋山、佐久間象山、大塩平八郎らとも親交を結び、国内、世界の情勢に通じて、天保の飢餓では私財を投じて土木工事を起こし、難民、失業者を救いました。
さらには、特に紀淡海峡の海防の重要性を訴え、その策を紀州藩などに献策し、私費で大砲をつくって沿岸部に配置するなど、庶民からの明治維新を担った一人ともいえる功績を持っています。
栖原には、海荘の生まれた屋敷の跡地が残されています。