本文
湯浅城跡は、湯浅宗重によって築かれた城館跡といわれています。
宗重直系の湯浅本宗家の軍事的な拠点として、平安時代末期から鎌倉時代、さらには室町時代にかけて存在したようです。
文安年間(1444~49年)に、後南朝の勢力が義有王を奉じて湯浅城に立てこもったとされるのが、湯浅城の最後であると考えられています。
湯浅城跡は、頂上付近の中央部に曲輪1があり、その東側に土橋状遺構で繋がる比較的広い曲輪2、西側の尾根上に曲輪3をはじめとした比較的小規模な平坦面がいくつか連なっています。これらの北側は急峻な斜面となっており、南側の谷部には大規模な平坦面(曲輪4)が広がっています。このように、湯浅城跡の構造は、曲輪1を中心に東西に曲輪群が展開する求心性の高い構造となっています。湯浅城跡には、中世の城郭によくみられる堀切や横堀といった空堀がほとんどなく、県内では他に例をみない縄張り構造を持っています。
また、平成30年度に実施した発掘調査では、曲輪4から13世紀から15世紀までの遺物が出土し、遅くとも13世紀には平坦面が形成されたことが確認されたほか、少なくとも4時期以上の整地が行われていること、14世紀中頃の火災の痕跡がみられること等が確認されました。
このように湯浅城跡は、湯浅氏「一門」の本拠を構成する重要遺跡であり、「他門」の代表的な存在である藤並氏が平地に形成した支配拠点である藤並館跡とともに、中世前期の武士団のあり方を知る上で貴重な存在であるといえます。
湯浅城跡は現在、史跡指定地周辺も含めて、私有地が混在してあることから、常時一般公開は行っておりません。
公開期間を設定した限定公開を随時行う予定にしています。詳細は湯浅町ホームページでお知らせします。