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石田冷雲(1822年~1885年)は、栖原・極楽寺の住職で、私塾「就正塾」(のちに「敬業社」)を開設し、そこで有田郡内はもちろんのこと他郡からも青少年が集い学びました。
菊池海荘と親しく、ともに京都で国事に奔走するなど憂国の志士としての一面を持ちつつ、漢詩を好み文人とも広く交流する人物でした。
晩年には西本願寺の真宗大教校(現在の龍谷大学に通じる)で教鞭をとるなど、教育者として多くの人に影響を与えました。
極楽寺には、冷雲の功績を偲んで建てられた至誠院冷雲碑という石碑が建っています。