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施無畏寺は、明恵上人が青年期に修行した白上山の麓に、寛喜3年(1231年)に、湯浅景基(湯浅宗重の孫)により建立され、明恵に寄進された寺院です。
往時は、大門や多宝塔といった伽藍が建ち並び、子院が六ヶ坊あったとされていますが、豊臣秀吉による天正13年(1585年)の紀州攻めの際に兵火にあって焼失したといわれています。
現在、奥の院と呼ばれる伽藍には、本堂をはじめ開山堂、鎮守社、鐘楼(いずれも和歌山県指定文化財)がありますが、いずれも江戸時代に入ってからの再建です。
施無畏寺は、湯浅一族の結合をもって開かれ、以後も一族の氏寺のような性格を持ちながら維持されていったと考えられており、湯浅氏との関係が非常に深い存在です。
また、湯浅氏や明恵に関する寺宝を数々有し、今なお明恵信仰が受け継がれているところでもあります。
境内から見える湯浅湾の景色や、春の桜など、風光明媚な場所としても知られています。