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勝楽寺の創建は詳らかではありませんが、現在、平安時代後期から鎌倉時代にかけての仏像の優品が伝来しており、相当な規模の伽藍を有する寺院であったことが推察されます。
承元4年(1210年)に、明恵上人が「白方宿所」にて藤原長房と面会していますが、この「白方宿所」は勝楽寺のことであると考えられます。
これらのことから、勝楽寺は湯浅一族や明恵との関係性が深い寺院であると言えます。
慶長3年(1598年)、豊臣秀吉の命を受け、京都・醍醐寺の金堂のため、「紀州湯浅ノ堂」が解体され移築されたことが知られていますが、その「紀州湯浅ノ堂」こそ、勝楽寺のお堂であったのではないかとも言われています。
※仏像群は一般公開されていません。